- 歴史の楽しみ方は年齢と共に変わっていく
-
子どもの頃に「太閤記」
を読んで歴史上の一番好きな
偉人は豊臣秀吉だった
私にとって歴史小説は
フィクションなのか?
ノンフィクションなのか?
そんなことには関係なく
「太閤記」の中の農民から
天下人にまで上り詰めた豊臣秀吉
というヒーローにあこがれた
柔整の専門学校時代に山岡荘八の
「徳川家康全24巻」を読んで
戦乱の世から戦のない世を作った
徳川家康に感動して
戦国時代の歴史小説を片っ端から
読みあさって自分なりに想像の
翼を広げてそれぞれの戦国武将の
イメージを膨らませて楽しんでいた
その後司馬遼太郎の「坂本龍馬」を
読み坂本龍馬のファンになり
日本を洗濯するような豪快な漢に
あこがれた
こうして若い頃は歴史小説に登場する人の
人となりを想像してワクワクしていた
しかしその後の小説やNHKの大河ドラマ
などで同じ武将がヒーローに描かれたり
悪役に描かれたりするのを見て
最初の頃は私が憧れていた秀吉が
悪役に描かれたりすると
「こんなことありえへん」
「歴史を何だと思っているんだ」
と頭にきていた
しかし
よく考えると歴史の教科書も
「本当はこうだった」などと
どんどん変更されていく
歴史って変わるのか?
いや、過去の事実は変わらないはずだ
変わっているのは現在の歴史認識と
歴史感が変わっていっているのである
結局
私の歴史感はいろいろな小説に
登場したヒーローであり顔も知らない
小説家が想像して勝手に作り上げた
偶像だったことに気がついた
そしてその瞬間に
私の中の歴史上のヒーロー達は
あっという間に色あせてしまい
歴史小説を読むことをしなくなった
なぜ明智光秀は織田信長を打ったのか?
坂本龍馬を暗殺したのは誰なのか?
などと歴史的なぞも多いが
分からない事を想像することに
虚しさを覚えるようになってしまって
今では想像の翼が広がらない
しかし
だからといって歴史が嫌いになった
わけではなく楽しみ方が変わったのである
私は今ではお城を訪ねて城下町を
歩くのが好きで石垣や縄張りや建物
城下町の作り方などを興味深く見て
その時代の生活や文化を想像している
それはそれでブラタモリのようで
楽しいものである。
一覧に戻る