- 桐島容疑者に思う
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 1月25日に桐島容疑者が本名を名乗って29日に死亡した 
 
 桐島容疑者は1975年4月18日に 銀座の韓国産業経済研究所に 手製の爆弾を仕掛けて 翌19日に爆発させて指名手配されていた 
 
 事件の頃私は10才だったので 知っていなければおかしいのだが そのころの私は世間のことには まったく興味がなかったようで こんな大事件を知らなかった 
 
 写真を見ると高速道路のパーキングの トイレなどでオウム真理教の 犯人と共に見たかも?と思うが 
 
 今でもまったく興味がなく この人が治療に来ていても 私は気づくことはなかっただろう 
 
 しかし49年間も息をひそめて 逃走生活を続けていたなんて まるで自分から無期懲役を 実行していたかのようだ 
 
 それにしても人生を棒にふるような こんな無謀な事件をナゼ おこしてしまったのだろうか? 
 
 1970年法政大学に結成した Lクラス闘争委員会が源流で 戦時中の日本帝国主義がアジアで 行ってきた悪行について研究して 反日思想を増幅し 
 
 侵略行為の中心的役割を果たした 三菱、三井、帝人、大成建設、鹿島建設 間組などの企業に対して爆弾テロ行為を 繰り返したようだ 
 
 1974年「狼」というグループが 三菱重工東京本社ビル爆破事件後 「大地の牙」「さそり」というグループが 合流して思想集団全体を 「東アジア反日武装戦線」と名乗ったようだ 
 
 「狼」による犯行声明を見ると 爆弾によって亡くなった人たちは ただの労働者ではなく帝国主義の 手先となって植民地人民の血を吸って 肥え太る植民地主義者なので処刑した 
 
 ということらしい 
 
 1945年に戦争が終結して25年も経って 日本人がこのような思想をもって 日本企業を攻撃した事件があったとは 今さらだが本当に驚きである 
 
 このような凶悪な事件を起こして 半世紀も逃亡しておいて死ぬ寸前に 私が桐島だと名乗ったのは 
 
 勝利宣言だったのだろうか? 
 
 だとすれば全く反省することなく 反日思想を持ったまま逝ったことになる 
 
 それとも偽名でコソコソと生きてきたが 人生の最後だけは自分自身として 人生を終わらせたかっただけなのか? 
 
 私には想像すらできないが 
 
 半世紀にわたる逃亡生活でひもじく 辛い思いを沢山してきたと思うが やはり誰にも謝罪の言葉もなく 刑罰を受けずに死んだことは ズルい人間だと言わざるを得ない。 
 
 
 
 
 
 
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