大阪府藤井寺市の梶村鍼灸整骨院は、柏原、羽曳野、松原、富田林、八尾、の近隣地域や、他府県から患者さんが来院する中医学と漢方で「難病を治す」鍼灸整骨院です。

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〒583-0027 大阪府藤井寺市岡2-4-1

お問い合わせ・ご予約は

072-939-9199

お知らせ   藤井寺梶村鍼灸整骨院

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院長経歴   藤井寺梶村鍼灸整

大阪鍼灸専門学校 卒業
(現、森ノ宮医療学園専門学校)
卒業時 大阪府知事賞受賞
行岡柔道整復専門学校 卒業
上海中医薬大学日本校
国際中医学科 卒業
国際中医師資格取得
(国際中医師とは)
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メディア掲載 藤井寺梶村鍼灸

書籍に掲載されております。
当院院長が、
「腰痛解消!神の手を持つ16人」
に紹介されております。
発行 現代書林
  腰痛解消!「神の手」を持つ16人
以下の書籍に研究論文が掲載されました。
鍼灸マッサージ師会が発行する「大鍼師会ジャーナル7月号」に「心に残る症例」というテーマで院長のコラムが掲載されました。
 




ぎっくり腰が即効で治るのはナゼ?

2015年6月26日

鍼を刺すと血行が良くなって効くのですか?

筋肉の緊張が緩和するのですか?



ぎっくり腰で

両側から抱えられてきた人が

一人でスタスタ歩いて帰るのを見て


奇跡や!

鍼灸治療で
何であんなに痛みがとれるのだろうか?


みなさん不思議なんでしょう


ぎっくり腰は治療効果が劇的で

魔法か手品に思えるほどの

効果を見ることがある


しかし鍼灸治療の刺激が

何に変化を与えて効いているのか?

その答えは

単純ではない


例えば腰痛治療は

血行を促進すれば治るのであれば

お風呂やサウナで温めれば良い


筋肉を緩めて治るのなら

マッサージやストレッチをすれば良い


ところが

そう簡単には治らない


何をやってもどこへ行っても
治らない腰痛が

当院の鍼灸治療で治るのは


一人一人の「症状の原因」を

的確に把握して


根本的な治療を行い

その上で局所治療を行うので

根本的で即効性のある

鍼灸治療ができるのである


症状の原因とは

血行不良や筋肉の緊張のほかにも

仙腸関節や骨盤の歪み

ヘルニア、狭窄症

関節包や靭帯の弛みなど

骨格的なものが多いが


冷えによる神経痛や

精神的ストレス

婦人科疾患、内臓疾患


腹部大動脈解離や
急性膵炎のように命に
係わる疾患もある


だから

毎回診察をして

「症状の原因」を把握するのである

その上で

疏通経絡、調和陰陽、扶正去邪

この三つの処置をすることで

劇的な治療効果が得られるのである


治療は治そうと思うことから始まる

2015年6月23日

小生は「治る覚悟」という表現を使う

身体の不調を治すには

自分に治る覚悟が無ければ

本当の治療は始まらない


当院には毎日たくさんの

患者さんが来院されるが


あちこちの病院を渡り歩いたが

いっこうに良くならない人の中には


治る覚悟ができていない人が多い

以下にあてはまる人は
当院には来ないでもらいたい


注意事項や養生法を説明しても
実行する気がない

間違った生活習慣を正す気持ちがない

治療より家事や仕事を優先する

固定や包帯などを嫌がる

鍼灸治療が嫌いである

治療計画通りに通院する気がない


以上のような人は

近くて長時間揉んでくれる

安い治療院へ行ってください


長時間揉んでくれるから満足できる

安いので治らなくても腹が立たない


当院は医療機関なので

治すために
必要なことを説明して

指導した事を
実行してもらいます

治療計画をたてて
その通りに通院してもらいます

だから9割以上の人が治っていく


当院は医療機関として

最低限提供しなければならないことは

患者さんの症状を改善することである

そう考えていいるので

治る覚悟が無い人は

来ないでもらいたい

お互いに時間の無駄である

18歳から選挙権

2015年6月19日

戦後70年ぶりに選挙権の拡大が行われ


18歳から選挙権が認められた


とても大きな改革であるが

何故か

あまり感動も喜びもない


その昔

学生の安保闘争があり

若者が国の事を真剣に考え

命を賭けて戦った歴史がある


つい先日まで

香港の学生たちが

中国の共産党に抗議して

大規模なデモを行って

機動隊と戦って

自分たちの国を

中国共産党から守ろうと頑張っていた


しかし

今の日本の若者に

選挙権を与えても

何の変化も無いだろう

安保改正法案が通っても

消費税が上がっても

誰も文句を言って暴れない


だから選挙権を与えたのかな?


せっかく若者たちに選挙権が与えられて

とても喜ばしいニュースなのに

どこか虚しいのである。